第10回「いじめ・自殺防止作文・ポスター・標語・ゆるキャラ・楽曲」コンテスト


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優秀賞受賞作品
「いじめは許さず自分を赦す」
鈴木 保奈子 


 私は小学校の時にたくさんのお友達がいました。私のお友達は目立つことがあまり得意ではない大人しい人や、クラスのムードメーカーになるような明るい人、勉強やスポーツができる自分が尊敬できる人など、歌の歌詞にあったように、「友達100人できるかな。」を地で通っている、いい意味で自由奔放、大人から言わせると、誰とでも仲良くできる少し抜けている子でした。でも大人の考えなどでは計り知れない、子供でしか捉えられない素敵な価値観で生活していました。高学年になると、女子達は色々な形でグループになり、それぞれ気が合う人たちと一緒に行動をするという現が多くなりました。私相変わらず、昔から仲の良かった人や、気が合う人、同じスポーツクラブに通う人などいろいろなグループに属していました。

 5年生の時、同じスポーツクラブに通う6年生から放課後に呼び出されました。一人の女子から呼び出されたのですが、呼び出された遊具の前には、知らない六年生の背が高い男子と呼び出した女子の二人で私を待っていました。遊具に乗るように言われ、すごい勢いで遊具を回されて、私が手を離せば振り飛ばされて大けがになるような行為をされました。怖くなって涙が溢れましたが、二人は笑って私をもっと怖くするように遊具を止めません。頭を地面に打ち付けたら大変なので必死にしがみついて、ようやく解放されましたが、今でもあの恐怖は忘れられません。遊具は当時、回旋塔と呼ばれていて、今では危険が伴うなどの理由により学校からは消えた遊具です。私が通っていた頃も、危ない乗り方をして、生徒がけがをしていたこともあり、乗り方を十分に気を付けなければいけないと、先生から注意を受けたものです。

 なぜ私はあの二人に標的にされ、あのようなことをされたのかは、わからないのです。 しかし、向こうには何か私が気に入らないことをしたか、見ていていじめたくなったのか理由があると思いました。
 多くの友達がいて普通の生活をしていましたが、突然の一つのことをきっかけにして学校が怖くなりました。しかし、私がもっと気になって苦しかったのは家族や、友達にそれを言えなかったことです。心配をかけたくない。いじめをされていると思われたくないという気持ちが先行し、何事もなかったように過ごしてしまいました。
当時の私には本当に頼れる友達も先生もいなかったのだと大人になって気が付きました。しかも、両親に伝えるということが一番避けたかったということもショックですが、認めなければならなかったのです。

 辛かったらちゃんと人に伝えるといった、ごく簡単なことさえ私はできなかった。

  言ったら人に迷惑をかける、とか人からあきられてしまうなど外聞ばかり気にしていた当時の私は、大人になった今の私で抱きしめてあげたい。肉体的には無理なので、頭の中で何度も抱きしめました。
いじめる側が悪いことをしているという意識があるかないかは、当人しか判断できません。でもいじめられている側は強制的にいじめを受けていると現状が語ります。